ホアキン・コルテス


お目当ての映像をどのテープに入れたか必死になって探していたら、
たまたま1998年のモントルー・ジャズ・フェスティバルを録画した映像が出てきた。
世界的に実力のあるミュージシャンが参加するこのフェスティバルは、
毎年多くのファンで会場が埋め尽くされている。
モントルーは、スイスのレマン湖に面した美しい街だ。
この年の出演者は誰だったか調べるため、テープを巻き戻してみた。
日本からは渡辺貞夫が出演し、アース・ウィンド・アンド・ファイアー、
ジョージ・デューク、ジョージ・ベンソン、キャンディ・ダルファー、
B.B.キング、バディ・ガイなどの名前が目に飛び込んできた。
そしてラストはフィル・コリンズ・ビッグ・バンド。
私はこのバンドが演奏した「Pick Up The Pieces」という曲が大好きである。
Average White Band のオリジナルで、ファンキーなノリが心地よい。

ゆっくり観る時間がないのでところどころ飛ばして観る・・・
しかし「JOAQUIN CORTES」という名前が出た時、
今までの出演者とは何か違うものを感じた。
ステージの上で、全身黒の衣装に包まれた一人のダンサーが
静かにタップを始める。
あまりにも見事なプロポーション!
かなりの頻度で足元だけが映し出され、
5cmほどヒールの入ったシューズが足に溶け込み、妙にカッコいい。

そしていきなり上着を脱ぎ捨て、よりダイナミックに踊り出す。
フラメンコのことは一切わからないが、彼はうちに秘めた情熱を、
歌や楽器ではなく身体で表現している。
脚は正確なタップを踏み鳴らし、
長い手足と鍛え抜かれたボディはしなやかで力強い。
顔の表情も、心を表現する大切なもののひとつだ。
少年の面影を残したエキゾチックな甘いマスクは、
時に激しく、哀切に満ちている。
だからこそ、緊張が解けた瞬間に見せる笑顔が優しく映える。

歌われている詩の内容は何なのかということよりも、彼の踊りに釘付けになった。
バレエの基本が完全にできていて、
それに彼は自分の感情を込めて、独自のスタイルでをフラメンコを踊っている。
その時、これは「民族の血」だと思った。
その国に生まれ、その土地で生活してきた人々の遺伝子に組み込まれた
’血’でしか表現できないもの・・・

彼が「動」と「静」から成る踊りを表現し、
ポーズを決めると客席からは歓声がドッと湧いてくる。
バックで歌う人や演奏者は食い入るように彼を見つめている。
歌や合の手を入れる機会を彼の踊りからつかみ、
タイミングよく入れるためだ。
彼はその時のステージで感じたものを、即興で自由に表現している。
でもその踊りから、民族の歴史までもが伝わってきた。

もしも才能ある日本人のフラメンコ・ダンサーがいても、
彼と同じように踊れないかもしれない。
どうしようもない限界があるのだ。
これは音楽の世界でもいえることではないだろうか。
だとしたら、日本人にしか表現できないものもいくつかあるはずだ。
それは一体何なのか?
日本文化の特異性を考えた時、
「能」の世界はそのうちのひとつではないかと思った。


ホアキン・コルテス:Joaquin Cortes
1969年、スペイン・コルドバ生まれ。
スペイン国立バレエ団で培った技術と、ジプシーとして彼が生まれ
ながらにしてもつフラメンコのベースを融合して、
彼独自のスタイルを築き上げる。
90年よりソロ活動を行い、彼の情熱的な踊りは、
世界中で熱狂的なファンに支持されている。